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2015.12.18 Friday

私の葛藤

久しぶりの更新となります。ある方から頼まれ,作文をしましたので,その内容をここにも掲載させていただきます。

「分子研出身者の今」

私の葛藤 上智大学理工学部物質生命理工学科・教授 南部伸孝

 慶應義塾大学大学院博士課程を1992年中途退学後,分子研では十二年と九か月間お世話になりました。今の時代とは異なり,指導教官である岩田末廣先生から分子研の計算機センターの助手(前任者は,長嶋雲兵先生)の異動後の人事へ応募してみてはどうかとお話を頂き,応募しました。面接を経て合格し,すぐ着任するよう分子研から連絡を受け,7月1日付けで着任しました。理由は,その当時大きな社会問題であったスーパーコンピュータの導入が関係していたためです。今思うに1983年の三年生の学生実験にて,OSとしてUNIX環境を使った学生(理論化学)の一人であり,岩田先生と若き博士・修士課程の学生数名が立ち上げた研究室は,様々な分野にとっても画期的な事柄であったように思われます。
兎も角,その後は分子研にてスーパーコンピュータの調達・管理および研究の両立を目指しました。幸いだったのは,自分のポストは単独助手のポストであったため昇進はないのですが,業務もあるのだから期限がないとされていました。ただし,後半の数年は他の方々からいろいろ言われ,あまりいい思い出が残っていないのも事実です。特に,お前はまだ「三原子分子」の研究かと言われたことには,怒りを覚えました。しかしその後,三原子分子の研究のおかげで,電子移動反応理論によりノーベル化学賞を受賞されたRudolph "Rudy" Arthur Marcusと仕事をすることとなります。(また,新潟大の徳江郁雄先生,九大の田中圭一先生・原田賢介先生,分子研の中村宏樹先生からは励まされ,感謝しています。)次世代スーパーコンピュータ関連の国際会議が2008年ごろ開催され,お台場にてマーカスを呼んで講演会が行われた時,初めて彼と直にお会いすることができました。実は,彼は私の同位体分別に関連する研究がとても気に入っており,2005年ごろからRudyという名前で沢山のメッセージを頂いていたのですが,全く分からず,共同研究を断っていました。しかし,これを機会に「誰かが分かり」共同研究へ進みました。ただし,三原子分子は次世代スーパーコンピュータとは全くなじまず,このような基礎研究は,端へ追いやられるのみです。マーカスは,凄いコンピュータがあるのに何故できないのか嘆いていましたが,私も同感です。彼は学問の垣根を越えて研究をされる方です。日本のような研究者までが縦割り行政と化している現状を鑑みると,現在92歳の彼の研究活動を見てはどうかと思うばかりです。
 2005年からは,九州大学の情報基盤センターへ助教授として異動することができました。青柳睦先生が先に異動されており,彼が私の現状を認識していたためか,まさに感謝あるのみです。異動後は,かなり自由に研究をさせていただきました。ただし,別な教授の方から早く出るようにと言われておりました。従って,長くはいられないと認識していました。その一方,自分の中では変化が始まっていました。きっかけは,分子研の中村宏樹先生と特別推進研究を行い,機能分子デザインを始めたところにあります。具体的には,古典分子動力学および統計論の勉強と生理活性分子探索そして,蛍光タグ分子の理論的デザインを始めます(2014年には,細胞実験まで成功[J. Photochem. Photobio. A: Chem. 289, 39-46 (2014)])。
 九大で四年が過ぎ,ここも長いかと思っていた矢先に2009年からは上智大学へ異動することになりました。面接がとても変わっていて,全教員が参加され質問を受けた記憶があります。70名近くの異分野の方もいる中で話したのは初めての機会でした。後で分かったのですが,学科が再編され2008年度より人事が始まったため,このようなこととなったようです。それまでは講座制がしっかり残った学科だったのですが,再編後は全員が単独の研究室を持ち,すべての教員に教授までの昇進の機会がある学科へと変わったようです。一方,私は異動した直後からほぼすべての学事を引き受けることになりました。さらに,授業の数はやはり多く,特に担当する1年生の実験が,春学期水曜から金曜まで午後1時半から4時45分まであり大分慣れましたが,初めは大変でした。
異動から二年後には,文科省のグローバル30が始まります。上智大学は,初めは特に希望しなかったようですが文科省から連絡があり,外国人のための英語コースを始めます。英語で講義のできる講師はいないかと当時早下隆士 理工学部長(現学長)から頼まれ,急遽東工大からDanielache博士を呼ぶこととなりました。実は彼とは,また三原子分子の研究で共同研究を行い,彼の博士論文副査を行っていました。ただし,博士号取得後は彼とは全く研究をしていません。従って,どのくらい成長しているか楽しみでした。英語コースには,初年度5名の学生(日本人2名を含む)しか入学がありませんでしたが,来年度は20名近くの学生が(定員30名)入学予定です。特に本学は全体で約1000名の外国人学生がいるのですが,半分が欧米から,残りがアジアからとなります。また,一期生の外国人になぜ理工の英語コースを選んだのかを聞くと,「日本の企業に就職したい」などがあり,決して英語を学びたいとはなっていません。特に,その学生は日本語も話せるのですが,日本人の受ける試験はレベルがかなり高いので,英語コースを選んだそうです。我々も英語コースを日本人の学生向けへは開いていません。しかし,今年度から始まったスーパーグローバル30では,日本語コースの授業の25%を英語化することが求められています。従って,英語化が進むことと思われます。そこで注意しないといけないことは,我々は優れたinterpreterを養成するのではなく,外国が求める日本の学術・技術力を教える機会を増やすことであると思います。私の英語はひどいのですが,マーカスは私を探し当てて来ました。面白い研究は必然的に残ると思われます。
最後に,嫁さんがいつも「あなたの研究は,分子研以外の人から共同研究の申し出を受け,いつも分子研以外の方が聞きに来ていたので,次の職場が見つからないで分子研を追い出されることはないわよ。」と言って励ましてくれました。彼女にとても感謝しております。

Marcus先生との写真

RudyMarcusWithSN